「1983年の沢田研二」は一筋縄ではいかない年。冷静に迫っていきたい
1983年の沢田研二
連載タイトルの年代表記「1980-1985」を2つに分けると、前半が「1980-1982」、後半が「1983-1985」ということになる。
つまりここで連載が後半に入る。おそらく多くの方が予感しているように後半は、前半の派手、賑やか、ポップな筆致に比べて、もう少し冷静なものとなるだろう。
そもそもレコードの売り上げが落ちていく。1983年といえば、わらべ「めだかの兄妹」が街に流れまくっていた年。変化していく音楽シーンと「沢田研二の音楽」との噛み合わせが少しずつギクシャクしてくる。
ま、とは言っても、沢田研二はデビューから今年(2025年)で58年(余談だが私も58歳)。ここでの前半・後半の違いなど、ちっぽけといえばちっぽけな話なのだが。
85年発売、沢田研二著「我が名は、ジュリー」(中央公論社)巻末の年表から、83年について主だったところを抜粋する(表記はそのまま)。