ワイセツ事件で無罪放免になった荒木一郎
<1969年2月>
2月7日昼前、東京・赤坂で羽仁進監督の映画「愛奴」の撮影をしていた荒木一郎(当時25)が町田署の刑事に逮捕された。容疑は強制わいせつ致傷。17歳の女子高生にわいせつ行為をしようとして、左首と肩に全治5日間のケガを負わせたというもの。
「訴え出た女子高生の母親が口頭で語った内容に信憑(しんぴょう)性があると判断。町田署はただちに逮捕状を請求。しかし、ちゃんと裏付けをとっていたわけではなかった」(元芸能記者)
母親の訴えによると事件のあらましは以下のようになる。
〈1月27日、知人から「女優になりたい」という町田市に住む女子高生を紹介された荒木は六本木の喫茶店で会った。その4日後、再び六本木で会い、「映画のプロデューサーと会わすから」と同行していた母親を帰し、女子高生を麻布十番のマンションに連れ込んだ。そこで荒木は「女優の素質があるかテストする」といって女子高生を裸にしていたずらに及んだ〉
勾留中、荒木は一貫して容疑を否認。2月28日に釈放され、4月2日正式に不起訴処分が決まったが、その間の荒木に対するマスコミのバッシングは凄まじかった。紙面に「ハレンチ歌手」「身から出たサビ」などという文字が躍った。