ハワイから拳銃を持ち帰った里見浩太朗
拳銃を譲った相手が問題だった。暴力団の幹部だったのだ。
「山城がそうした筋と交際があるのは知られていたが、気の毒なのは里見だった。酒も飲まず、東映では品行方正の優等生タイプだっただけに、ダメージは大きかった。山城が買ってみようというので、つい軽い気持ちで手を出してしまったのでしょう」(元芸能記者)
里見はとっくにピストルを手放していた。暴力団に譲ったのではない。相手は山城。持っているうちに、自身がとんでもないことをしているのに気づき、恐ろしくなり山城に渡したのだ。購入して4カ月後の63年8月のことだった。
だが、社会の風当たりは強かった。とくに怒ったのは羽田空港の税関である。
「芸能人には立派な人が多いので、検査も穏便に取り計らってきたのに裏切られた気持ちだ」と関係者。この事件をきっかけに、空港に金属探知機が導入された。
謹慎を余儀なくされた里見は書類送検の後、起訴され、65年2月、懲役8月、執行猶予3年の判決を受けた。
判決後、里見は静岡県の方広寺にこもった。座禅を組む里見に住職は「君がどんなに美しい顔を持ち、どんな芸をし、どんなに立派なことを言ってみても人間の道から外れたら、すべてはウソになってしまう」と説教した。