大女優ゆえ反発も 左時枝さんが語る姉・幸子さんの“遺言”
姉の言う通りにしたものの、当時の私は反抗期。大女優の妹なので出発点として恵まれてたとはいえ、姉が何もかも私の一歩前に杖をつき、転ばないようにしているみたいで、心の中では「勝手にさせてよ」ってずっと反発していました。姉の作品を見なかったりして。素直になれたのは45歳ぐらいになってからですね。
姉は2001年に肺がんで亡くなりました。その半年ほど前、私は黒木和雄監督の映画「美しい夏キリシマ」の撮影で九州へ行くことになり、姉の入院する病院へお見舞いに行ったんです。姉が「命懸けでやってきなさい」と言うからオーバーよ、と思いましたが、必死さが顔に出ていたんでしょうね。さらに「あんたはわかってないわね」とピシャリと言われてしまいました。
最近もDVD屋さんに行き、姉の作品が目に入ったら手に取るんです。「女中ッ子」「飢餓海峡」「幕末太陽傳」……。姉は本当に奇麗で、いい芝居をする。なんでそれを生きているときに言ってあげなかったんだろうと悔やまれます。「命懸けでやりなさい」と言われたのが遺言だと思っています。