(6)「パンツを脱いできなさい」デビュー当時の志穂美悦子に指示したワケ
テレビドラマ「キイハンター」が人気絶頂だった1970年。私はジャパン・アクション・クラブ、通称「JAC」を創設した。理由は単純である。日本の映画やテレビドラマのアクションシーンをもっと見栄えのするものにしたかったからだ。
当時の日本にはアクションができる俳優がほとんどいなかった。「キイハンター」に、私が敵を殴り、その敵が橋から落ちるシーンがあった。このとき、私は落ちる役のスタントまでしなければならなかった。これを後で編集でつなぐわけだ。
現場では落下した私をスタッフが消防署から借りてきたマットで受け止めることになっていたのだが、タイミングが微妙にズレたため、岩に激突。肩鎖関節が離れ、そのまま入院である。当然、撮影も中断となった。
私はベッドに横たわりながら考えた。
「もっと本格的に動ける俳優を育てない限り、日本は永遠にハリウッド映画と勝負できない」
私は尊敬する深作欣二監督に相談した。
「この際、アクションができる俳優を育てる学校を作ろうかと思います」