コレラをめぐる「病態生理」と「疫学的事実」の対立…コッホとペッテンコーフェル
そう考えると「コレラの原因はコレラ菌だけではない」という考えも正しく、ペッテンコーフェル自身はこの人体実験によって自分の考えが証明されたと思ったのではないだろうか。
コレラ菌がコレラの原因だといわれると、「コレラ菌が体に入るとそのすべての人がコレラになる」と考えるかもしれない。病態生理による病気のメカニズムの説明はそういった誤解を助長する。
逆にコレラを摂取したと考えられるのにコレラにならない多くの人たちを観察して、「それが原因であるはずはない」とコレラ菌を飲むというような無謀な人体実験をしてしまうのも問題だ。疫学的な観察は個別に起きることを予想できない。統計学的に見たとしても、ある確率で予想できるにすぎない。
ただ医学の流れがどうなっているかというと、病態生理は仮説にすぎないと考えるべきで、疫学的観察、統計学的事実によって医療の有効性が示されなくてはいけないというのが今の医学の王道である。
その意味ではコッホの業績は過大評価であり、ペッテンコーフェルの業績はもっと評価されてもいいというのが現代の医学からの評価である。事実、これらの流行をこの先予防するのはコレラ菌発見以前のペッテンコーフェルの下水道整備や清掃事業である。個別の患者に対する抗生物質治療の出現はまだ先であるし、抗生物質出現以降も下水や清掃は重要な対策に変わりはない。
統計学的事実を優先する「EBM:根拠に基づく医療」の出現は、ある面ペッテンコーフェルの復権という側面があるのだ。