コレラをめぐる「病態生理」と「疫学的事実」の対立…コッホとペッテンコーフェル
このコレラ菌の発見に対し、ペッテンコーフェルがとった対応が「培養されたコレラ菌を飲む」という自身の体を用いた人体実験であったのだ。彼は土壌汚染が蔓延する地域にもコレラを発症する人としない人がいる事実を見て、コレラ菌だけがコレラの原因とは考えていなかった。自分はコレラを発症しないという自信があったのかもしれない。
事実、ペッテンコーフェルがコレラ菌を飲んでも軽い下痢が起こるだけで、毎日大学へ歩いて通っていたという。さらに助手のエンメリッヒが同様の人体実験を彼に知らせず行っていたのだが、こちらも軽い下痢を起こすのみであった。この対決の結果は、ペッテンコーフェルの便からコレラ菌が培養され、彼の下痢の原因はコレラ菌によるもので、コッホのコレラ菌原因説が確かめられた事件として語り継がれている。
しかし、この事件はそう単純ではない。日常ではありえない量の培養コレラ菌を飲んだ場合でさえ軽い下痢を起こすだけで、下痢が止まらず、脱水症で死に至る病としてのコレラは発症しなかったということもできるのではないか。少数の菌が入ったくらいでは何も起きない可能性も十分考えられただろう。