父・宇さんと福原愛は仙台のクラブで「すれ違い」だった
先輩の陳龍燦氏に紹介されたのは、「泣き虫愛ちゃん」こと、すっかりテレビの人気者になっていた福原愛が所属していた仙台ジュニアクラブだった。
「ひとりで仙台に来たのが98年7月で、福原愛ちゃんはちょうど大阪に移ったばかり。すれ違いでした」
まだ10歳だった福原愛がプロ契約し、大阪の八尾市に引っ越したのはその年の8月だった。
■「仙台は住みやすい」
「仙台は住みやすい土地で、とても好きになりました。日本人は、中国人と同じくらいに卓球が好きだということは分かっていました。うまい下手はともかく、誰でも卓球ができますからね。ヨーロッパでは、そうはいきません」
生活が落ち着いた翌99年、宇さんは、郷里の四川省重慶から、10年間も遠距離恋愛を続けてきた凌さんを呼んだ。
中国では、4年に一度「全国運動会」が開かれる。「中国のオリンピック」とも呼ばれ、各省が省を挙げて選手強化に取り組むビッグイベントだ。