父・宇さんと福原愛は仙台のクラブで「すれ違い」だった
張本智和の父・宇さん(47)は、まず選手として海外の舞台に飛び出した。
「25歳だった96年にカタールへ行きました。27歳からはよりレベルの高いイタリアのプロリーグでプレーする機会がありました。腕を磨くだけでなく、世界のスポーツ事情もそこで学びました」
中国共産党の最高指導者、江沢民が自由主義経済に舵を切り、積極的な対外政策で大国主義を打ち出していた頃だ。28歳、転機が訪れた。
「そろそろ現役を引退してコーチになる気持ちはあり、中国に戻ってコーチをしないかという誘いもあったんです。ただ、やはり世界を見てしまいましたから。国際選手を育てながらもっと経験を積んでみたいという気持ちが大きかった。もちろん、経済的なこともありました」
四川省の先輩で、87年の世界卓球選手権、88年のソウル五輪のダブルスで金メダルを獲得した陳龍燦が、仙台のジュニアクラブを紹介してくれたのだ。
陳氏のソウル五輪でのパートナーが韋晴光で、97年に日本国籍を取得して偉関晴光と改名、現在はJOCエリートアカデミーのコーチとして張本の指導を務めている。振り返れば“天才少年”の環境は、それが地方都市であっても、エリートが育つだけの人物に囲まれていた。