東京五輪への鎮魂歌 消えたオリンピアン
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経営難で…猪熊功氏は自宅で頸動脈を切る練習を繰り返した
神奈川県横須賀市の曹源寺は高台にあり、市街を一望することができる。すでに死を決めた63歳の猪熊功が、この菩提寺に最後に足を運んだのは2001年9月22日。「猪熊家之奥都城」と刻まれた墓に合掌、故郷の…
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シマノレーシング監督はあの“日本航空123便”に乗っていた
1964年東京オリンピック。自転車競技に出場した2人のオリンピアンは、ともに39歳で悲惨な死を遂げている――。 バブル経済が最盛期を迎えていた1980年代。全国50カ所の競輪場の年間車券総売…
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3大会連続メダルに貢献 世界一の名セッターは底なしの酒豪
1964年東京オリンピックから、68年メキシコ、72年ミュンヘンまでの3大会で、まるで階段を駆け上がるように銅・銀・金のメダルを獲得。世界の頂点に立った日本男子バレーボール――。 日本チーム…
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名監督・松平康隆さんはアイデアマンで名演出家でもあった
1964年東京オリンピックのバレーボール。“東洋の魔女”は金メダルに輝いたが、男子は銅メダル。そのためだろう、ファンやマスコミの注目度も低かった。 あれから56年。銅メダリストの菅原貞敬は、…
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東京五輪の開会式 2人の遺影をポケットに忍ばせ行進した
昨年12月14日、石川県金沢市。「弁当忘れても傘忘れるな」のことわざ通り、朝は晴れていたが、昼前には曇天になり、午後になると雨に見舞われた。 この日、私は大島鎌吉の菩提寺である、金沢市の経王…
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差別する軍人に「朝鮮人も日本人も同じ人間ではないか」
戦歿の友のみ若し霜柱――。(三橋敏雄) 戦没者を悼む句を詠んだ、俳人の名を思いだす。 現在まで判明している日本人戦没オリンピアンは38人(女性1人)に及ぶ。激戦地の南太平洋や中国など…
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自殺した名ハードラー 依田郁子さんが試合前に行った儀式
〈依田(旧姓)郁子さん自殺 東京五輪で大活躍 ヒザ関節の痛み続き〉 64年東京オリンピックから19年。こんな見出しで全国紙が5段抜き、写真入りで報じたのは、1983年10月15日だった。前日の…
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“オリンピックのサル”なる汚名が猿渡武嗣さんの死期早めた
敗戦後の日本経済を率いてきた2大製鉄会社の八幡製鉄と富士製鉄。ライバルでありながら、さらなる経済成長を期して合併を発表(新日本製鉄発足は1970年3月)したのは、メキシコオリンピックが開催された68…
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猿渡武嗣さんは妻に笑われた占いの「39歳で死ぬ」が現実に
「俺は、39歳で死ぬらしい。占いにはそう出ているんだって」 猿渡武嗣が妻の比都美に、そう言ったのは1969年春。結婚して間もなくだった。 「何冗談を言ってんのよ。あなたは殺されても死なな…
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三菱重工退職後に不運連続 浴びるように酒を飲み肝臓は…
将来を嘱望されつつも27歳の若さでサッカー界と決別し、勤務先の三菱重工業をも退職したオリンピアンの継谷昌三――。 大学時代の友人の話によると、継谷の実家は材木商を営む旧家で、かなり裕福だった…
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大学時代にキャプテン務めた日本代表は厚生課の仕事に不満
いかにサッカーオタクといえども「継谷昌三」の名を知っている者は少ないはずだ。元日本代表監督・加茂周に彼の名を告げると、懐かしむように言った。 「継谷? 昌三だろう。大学(関西学院)時代の仲間で…
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正社員になり昇進も 後進を育てる夢を叶えぬまま旅立った
1972年のミュンヘンオリンピックを前に、28歳で潔く現役選手引退を発表。晴れてソニーの「嘱託社員」から「正社員」になった金メダリストの加藤武司――。 ときは高度経済成長期。正社員の加藤は、…
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体操団体金と種目別ゆか銅を獲得した「ソニーマン」の苦悩
1964年の東京オリンピックで日本は、史上最多の16個の金メダルを獲得。そのうち男子体操は5個を手中にし、“体操ニッポン”を内外にアピールした。 しかし、悔し涙で仲間の演技を見守る男がいた。…
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日本人初の8mジャンパーは引退後、企業戦士から帰らぬ人に
「大変だよ、社会人は。周りはみんなエリートで、仕事のムシだ。俺なんか体育学部出身のスポーツばかだし、一生平社員だ」 30歳で選手生活を引退。東急電鉄の社員に専念することになった山田宏臣は、学生…
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日本人初8m超えのため 山田宏臣さんは“8”にこだわリ続けた
山田宏臣の死は、まさしく企業戦士の末路である“戦死”だった――。 1984年ロスオリンピック開催中だ。母・展子が私に発した言葉は重く、叫ぶようにこう言った。 「残酷物語ですよ。若い息子…
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セクハラ報道に株で逮捕…地に落ちた「3冠監督」のその後
1976年のモントリオールオリンピック。日本女子バレーボールチームは、決していい状態ではなかった。緊張する松田紀子は、消化不良を起こして食事はおかゆ。ソ連との決勝戦直前には、岡本真理子はトイレでパン…
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金メダル以外は敗北…打倒ソ連のために敵将も丸裸にした
1967年、日立女子バレーボール部を率いる山田重雄は、日本代表監督に就任。翌年のメキシコオリンピックに臨み、決勝戦でソ連に敗れたものの銀メダルを獲得した。 ところが、世間は冷たかった。4年前…
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河西昌枝は顔面蒼白…長嶋の婚約で周囲は身投げを心配した
「河西さん、海に飛び込むかもしれん!」 「そうや、つかまえておかなあかんわ!」 1964年東京オリンピックが終了して1カ月後の11月末。金メダルを獲得した東洋の魔女は、中国や香港に遠征し…
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父の他界で傷心…河西昌枝を救ったのは長嶋のサインだった
昨年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」。46話放送にこんな場面があった。 1964年東京オリンピック開催3カ月前の7月だ。“東洋の魔女”といわれた女子バレーボール代表チーム…
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欲のない純粋なテレビマンは「商業五輪」を強く批判した
フジテレビに入社した坂井は、37年間にわたり報道部とスポーツ部に在籍。現場でオリンピックも取材している。 パレスチナゲリラが選手村を襲いイスラエル選手11人を殺害した1972年ミュンヘン大会…