金メダル以外は敗北…打倒ソ連のために敵将も丸裸にした
1976年モントリオール五輪・女子バレー金メダル監督 山田重雄さん(上)
1967年、日立女子バレーボール部を率いる山田重雄は、日本代表監督に就任。翌年のメキシコオリンピックに臨み、決勝戦でソ連に敗れたものの銀メダルを獲得した。
ところが、世間は冷たかった。4年前の東京オリンピックで東洋の魔女が金メダルを獲得していたからだ。生前、山田は私に当時の心境を語った。
「ソ連に負けた10月26日は私の37歳の誕生日だったが、誰も祝うどころか裏切り者扱い。試合前にスポーツ紙の特派員で石原裕次郎が来て、取材させろと。若い選手は大スターが来たんでは動揺すると思い、私は取材を拒否した。裕次郎もバレー協会もカンカンに怒ったね。まあ、金メダルを取っていれば美談になったかもしれないが、負けたためボロクソ。帰国後も見ず知らずの人間から『バカ野郎!』と言われる。私が罵声を浴びせられるのはいいが、選手たちは可哀想だった」
そのことがあって以来、山田は「金メダル以外は敗北」と胸に刻む。72年のミュンヘンオリンピックは小島孝治が監督を務めて銀メダルだったので、4年後のモントリオールでの金メダル獲得を目指す。