父の他界で傷心…河西昌枝を救ったのは長嶋のサインだった
1964年東京五輪・女子バレー金メダル 河西昌枝さん(上)
昨年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」。46話放送にこんな場面があった。
1964年東京オリンピック開催3カ月前の7月だ。“東洋の魔女”といわれた女子バレーボール代表チームの主将、安藤サクラが演じる河西昌枝が、父が危篤のために山梨県に帰省する。だが、とんぼ返りで練習場に戻ってきた河西に対し、徳井義実が演じる監督大松博文は激怒する。
「帰れ。お父さんのそばにいろ!」
ところが、河西は涙を流し訴えるのだ。「バレーボールを続けます!」と……。
事実はまったく違うのだ。
これに関して、元NHK大阪放送局スポーツ部ディレクターの毛利泰子が詳しい。当時の日紡貝塚の体育館に日参。東洋の魔女に密着し“毛ちゃん”と呼ばれるほどの間柄だった。
56年前の7月16日。毛利はいつもと違う光景を体育館で目撃する。主将の河西が監督大松に涙目で「父が危篤です。帰らせてください!」と懇願していたのだが、大松は「ダメだ。練習を終えたら帰ればいい。練習だ!」と繰り返し叱咤した。河西は怒りを爆発させ、涙声で叫んだのだ。
「この、鬼ーっ!」
それから3日後に河西の父は73歳で他界した。
大阪で私の取材に快く応じてくれた今年89歳を迎える毛利は、当時を語った。
「河西さんは4人きょうだいの末っ子で長女でしたから、とくにお父さんから可愛がられていた。そのお父さんが亡くなったために落ち込んでしまった。それで大松監督が私に『河西がおかしい。どないしたらええ?』と相談してきた。『大の長嶋ファンやから巨人の試合を見せれば元気になると思います』と私が言ったら『毛ちゃん、頼むわ』と……」
そこでプロ野球も担当していた毛利は早速、長嶋茂雄に電話した。2人の会話を再現する。
毛利「バレーの河西昌枝さん、ご存じですか?」
長嶋「よーく、知っていますよお」
毛利「実はお父さんを亡くして落ち込んでいます。プロアマの問題もあり、直接お会いすることはできませんが、サイン色紙とボールをいただきたいです。いいですか?」
長嶋「オッケーです!」