著者のコラム一覧
岡邦行ルポライター

1949年、福島県南相馬市生まれ。ルポライター。第3回報知ドキュメント大賞受賞。著書に「伊勢湾台風―水害前線の村」など。3・11後は出身地・南相馬中心に原発禍の実態を取材し続けている。近著に「南相馬少年野球団」「大島鎌吉の東京オリンピック」

日本人初の8mジャンパーは引退後、企業戦士から帰らぬ人に

公開日: 更新日:

1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪・走り幅跳び代表 山田宏臣さん(下)

「大変だよ、社会人は。周りはみんなエリートで、仕事のムシだ。俺なんか体育学部出身のスポーツばかだし、一生平社員だ」

 30歳で選手生活を引退。東急電鉄の社員に専念することになった山田宏臣は、学生時代の友人にその焦りを訴えた。だが、オリンピアンとしての自負と意地。加えて最大目標の8メートルを跳んで日本人初の8メートルジャンパーという矜持が、そのまま流される自分を許さなかった。

 引退直後は東急電鉄沿線の駅改札口での切符切りを余儀なくされたが、東急ホテルズ・インターナショナルに出向。販売促進担当員として営業マンになると、その働きぶりには同僚でさえも驚いた。得意先の接待には進んで出席し、深夜まで宴会屋としての真骨頂を発揮した。

「僭越ながら裕ちゃんの『俺は待ってるぜ』を歌わせていただきます」

 マイクを手にすれば、十八番の石原裕次郎の歌を披露した。二日酔いのときは早朝トレーニングでアルコールを抜き、そのまま得意先に直行。笑顔で深く頭を下げ、大声で「走り幅跳びの山田宏臣です!」と名乗る。自ら休日も返上して働きまくる、まさにモーレツサラリーマンだった。それが功を奏したのだろう。引退後、5年目には異例の抜擢で販売促進課長に昇進した。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 2

    “氷河期世代”安住紳一郎アナはなぜ炎上を阻止できず? Nキャス「氷河期特集」識者の笑顔に非難の声も

  3. 3

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  4. 4

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  5. 5

    大阪万博の「跡地利用」基本計画は“横文字てんこ盛り”で意味不明…それより赤字対策が先ちゃうか?

  1. 6

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  2. 7

    大谷「二刀流」あと1年での“強制終了”に現実味…圧巻パフォーマンスの代償、2年連続5度目の手術

  3. 8

    国民民主党は“用済み”寸前…石破首相が高校授業料無償化めぐる維新の要求に「満額回答」で大ピンチ

  4. 9

    野村監督に「不平不満を持っているようにしか見えない」と問い詰められて…

  5. 10

    「今岡、お前か?」 マル秘の “ノムラの考え” が流出すると犯人だと疑われたが…