“オリンピックのサル”なる汚名が猿渡武嗣さんの死期早めた
1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪・陸上3000メートル障害 猿渡武嗣(下)
敗戦後の日本経済を率いてきた2大製鉄会社の八幡製鉄と富士製鉄。ライバルでありながら、さらなる経済成長を期して合併を発表(新日本製鉄発足は1970年3月)したのは、メキシコオリンピックが開催された68年の4月だった。
オリンピックのサル――。
■八幡製鉄と富士製鉄
80年、新日鉄東京本社から旧富士製鉄系の新日鉄室蘭に赴任した猿渡武嗣は、決して愛称ではなく、明らかに動物のモンキーにたとえられて揶揄された。陸上競技部を擁する旧八幡製鉄系の新日鉄八幡に在籍し、東京とメキシコ大会に出場したオリンピアンだったからだ。
ちなみに猿渡が現役選手時代に在籍した新日鉄八幡には、陸上と水泳の競技部があり、いずれも日本を代表する実業団チーム。東京オリンピックには実に10人が出場していた。陸上マラソンの君原健二(8位、メキシコ銀メダル)、水泳の田中聡子(100メートル背泳ぎ4位)が代表的な選手である。対して新日鉄室蘭にはオリンピアンはいなかった。