わざわざ挨拶に…ARBのメンバーはとっても律儀だった
これまで時系列にLOFTを振り返ってきたわけではないが……。1969年を「日本オリジナルのロックの夜明け」とするのならば、10年後の1979年は「パンク・ニューウエーブが芽吹いた」と言っていいんじゃないかな。この時代の話をしてみようか――。この年の8月28日~9月2日、新宿ロフトで「DRIVE to 80’s」が行われた。仕掛けたのは、カメラマンの地引雄一さん。彼が「日本でも広がりつつあるパンクのバンドをロフトに集めましょう」と企画した。ロンドンやニューヨークでパンクのムーブメントが起こっていたことは知っていたが、日本のパンク野郎ときたら「アンプなど機材を壊す」「客とケンカする」「クスリをやっている」「女性客を無理やり……」といったネガティブな話ばかりが聞こえてきたものである。
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東京のロック系ライブハウスの多くは、パンク系バンドの悪い噂に尻込みしてしまい、ほとんど無視も同然だった。正直に言うと「あまり気が進まないな」と思ったのも事実。でも、地引さんの人となりを信用していたし、8月から9月にかけて(帰省などで)東京に若者がいなくなり、どのライブハウスも集客に四苦八苦していた。