国民的人気バンド・スピッツの夢とは…「新宿ロフトのステージに立つのが夢だった」
1971年に烏山ロフトをオープンさせて73年から西荻窪、荻窪、下北沢、新宿と1年ごとに新しいライブハウスを増やした。ロックの最前線で刺激的な日々に酔いしれていたが、目をかけていたバンドが、有名になると「(観客が)100人単位はライブハウスの仕事。1000人を超えると私たちの役目」とレコード会社の連中が連れていってしまう。むなしく思うことも重なって84年10月、世界放浪の一人旅に出た。帰国する91年までの7年間は(時々一時帰国)「空白期間」となった。1週間前の10月1日に「下北沢シェルター」が30周年を迎えた。「そっか! 帰国して30年が経ったのか!」。シェルターでは「30日間連続ワンマン」をやっている最中。「聴いた方がいい」というバンドがいたら教えてほしい。スケジュールを見ても、どんなバンドなのか、よく分からないんだよ(笑い)。
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高校の時から赤旗を振り、中央大で新左翼のブント(共産主義者同盟)に入った。いろいろあって組織からトンズラ。26歳で烏山に7坪の店をつくった。雑誌「ローリングストーン」に「ニューヨークの若くて貧乏な芸術家が屋根裏<ロフト>を共有しながら活動している」とあった。