天才アラーキー傘寿を語る
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<71>オレを写真家にしてくれたのは陽子 四六時中、彼女を撮り続けた
ロッキングチェアーに座ってビールを飲む陽子。ふたりだけの幸福な時間。こういう写真がいいんだよね。結婚して、まだ(台東区)三ノ輪の実家の近くに住んでた頃、持ち物もない狭い部屋で、日曜日、陽の当たる部屋…
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<70>写真は自分の情とか相手との関係が見えるから面白い
これは渋谷の駅前の交差点だよ。そうかぁ、39年前の渋谷なんだね(1983年撮影)。オレは一人で歩くときもコースを決めないし、地図も持たないで、勘だけを頼りに歩いてたんだ。で、ふらふらと、とんでもない…
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<69>橋とか川とか…こういうのは「時」を過ごしたくなる場所なんだ
作家の小林信彦さんと東京を一緒に歩いて撮影した「私説東京繁昌記」〔共著、1984年刊〕、もう40年ぐらい前になるんだねぇ(1983~84年に撮影)。 これは、銀座の歩行者天国、和光の前。銀座…
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<68>ノスタルジーは写真の原点であり、人間としての感情の原点だね
オレは東京の下町(台東区)三ノ輪に生まれて、東京の町をずっと撮り続けてきた。「東京慕情」(1999年刊写真集)の写真は、作家の小林信彦さんと東京を歩いて撮影したんだよ。小林さんが雑誌(文芸誌「海」)…
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<67>三四郎池で出会った光景 人生ではノスタルジーが一番大事なんだね
これはね、“三四郎池”で撮った写真なんだよ。東京という大都会の真ん中の東大本郷(東京大学本郷キャンパス)にある三四郎池ですよ、ここは。小さな沼みたいなとこだから、決してキレイなところじゃないんだけど…
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<66>おじいちゃんになった? パッと出る笑いが「いいなぁ~」と思って撮っている
雑誌『ダ・ヴィンチ』の“男ノ顔”ね(巻頭グラビア連載「アラーキーの裸ノ顔」)、始めてから24年が経つんだよ。20年以上続けてきて、今はとにかくスタジオで撮りたいんだ。で、バックは無地にしたい。見る人…
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<65>オレはヨーロッパよりソウルのほうに「生」を感じたんだ
韓国に行くたびに、最初に中上健次さん(小説家)と歩いたソウルの路地を思い出すんだよね(1984年)。で、すっごく印象に残ったタル・トンネ(“月の村”の意味、ソウル郊外の金湖洞の別名)に、いつも行きた…
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<64>オレは寂しがり屋だから路地のそばにいたい…これはもう生理、本能、でね
これは名作だねぇ~。韓国のタル・トンネ(“月の村”の意味、ソウル郊外の金湖洞の別名)で撮った写真なんだ。1990年かぁ。この頃は、こんな路地ばかりだったね。 タル・トンネは貧しい人たちの街で…
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<63>中上健次さんとの仕事で韓国へ ソウルの路地に捕まっちゃった
これまで韓国には7、8回行ってるかな。最初に行ったのが『物語ソウル』の仕事で、中上健次さんと一緒に行ったんだよ。中上さんて、書けないっつうんじゃなくて書くのが遅いんだよね。だから、待ちきれずに遊びが…
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<62>歌人・宮田美乃里さんからの手紙「片乳房の無い私の裸体を撮ってはいただけないでしょうか」
この写真はね、新宿御苑の満開の桜の木の下で撮った歌人の宮田美乃里さん。この写真を撮った一年後の春に彼女は逝ってしまったんだ。彼女から「撮って欲しい」って手紙がきてね、彼女のことは、朝のワイドショーで…
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<61>工事中の壁に写真が…虚と実、こういうのにすごく惹かれるんだ
六本木で、六本木ヒルズや東京ミッドタウンの建設が始まった頃、そのあたりを歩いて、よく撮ってたんだよ。工事用シートをくぐって入ったら墓場だった写真もその頃だね(2000年撮影、連載59に掲載)。これも…
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<60>杉浦日向子さんは最後に一緒に飲もうってワインを用意してくれてたのに…
杉浦日向子さんと、『東京観音』の連載で東京の街を歩いたんだよ。江戸の粋にくわしくて、彼女が観音さまだったね。(文筆家・杉浦日向子は漫画家としてデビュー、一貫して江戸風俗を題材にした作品を描いた。20…
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<59>工事用のシートをくぐって入ってみたら、そこが墓場だった
電通を辞めて、退職金でアサヒペンタックス6×7を買って、三脚かついで1年間歩いて撮ったのが「東京は、秋」(1984年刊行写真集、1972年~73年に撮影、連載12に掲載)。それからもずっと、東京の街…
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<58>石原慎太郎さんは「ヨットに乗らないか」って言って、乗せてくれたんだよ
この石原慎太郎さんは、雑誌の連載<実力者たち>で石原さんを撮ったときの写真なんだよ。でも、雑誌に載ったのはカラーで、もっと他の写真を選んでるから、この写真じゃないんだよね(雑誌『太陽』で荒木が各界の…
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赤塚不二夫さん<2>「バカボンのパパ」姿の赤塚不二夫さんは自分でブランコ座ってこぎ出したの
こうやって自分が撮った写真を見ると、忘れていたことも思い出すね。写真を撮ったときのことをさ、思い出すよ。 赤塚さんがバカボンのパパの格好をしているこの写真を撮ったとき、20年ぶりかなぁ、久し…
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赤塚不二夫さん<1>赤塚不二夫さんは“アラーキー”の名付け親だと言っていたが…
赤塚不二夫さんが亡くなって、もう13年が経つんだねぇ(漫画家の赤塚不二夫は2008年に肺炎のため72歳で死去した)。赤塚さんは何度も撮ってるんだよ。この写真は、“赤塚さん”だからバックは赤だって、ダ…
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<55>都立上野高校の同級生だった立花隆氏を偲ぶ…立花、もう一度、撮りたかったよ
立花隆は(都立)上野高校の同級生なんだ。立花は、オレの展覧会やオーストリアから勲章をもらったときの大使館の式にも来てくれてね。でも、高校の頃は話したことがなかったの。立花は頭良くて東大受験生のコース…
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<54>オレに街を100mも歩かせたら写真集が一冊できちゃう
世田谷の豪徳寺に2011年の暮れまで30年間住んでたんだよ。豪徳寺は、お寺があっていいんだよね。夕方になると、ゴーンと鐘の音がしたんだよ。オレは、“ウィンザースラム豪徳寺”って呼んでたんだけど、その…
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<53>花というより、むしろ時間、それも死に向かう「時」に興味があった
この写真は、妻亡きあとのころだね。『色景』(1991年刊写真集)に入っている花の写真だよ。90年の1月に陽子が逝って、バルコニーで空や彼女を思い出すものとかを撮ったりしてた。『空景/近景』(1991…
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<52>自分好みの花にしたかったというかね。花を淫してるんだね
リングストロボと接写レンズで撮った『エロトス』(1993年刊写真集)の話をしたけど(連載50・51)、これは80年代にリングストロボで撮った花の写真だね。 モノクロでは女陰、カラーでは花、相…