<53>花というより、むしろ時間、それも死に向かう「時」に興味があった
この写真は、妻亡きあとのころだね。『色景』(1991年刊写真集)に入っている花の写真だよ。90年の1月に陽子が逝って、バルコニーで空や彼女を思い出すものとかを撮ったりしてた。『空景/近景』(1991年刊写真集)だね(連載44・45に掲載)。『近景』と『色景』、このときは、でかい6×7判のカメラで、三脚を立てて、ちゃんと照れずに撮ったんだよね。モノクロームの『近景』に花が入っているけど、花がひとつの花となってない、やっぱりバルコニーという、廃墟っていうか墓場というところにもう一体化しちゃってるわけ。光がつくった影のほう、暗部のほうっていう気分だったんだろうな。
■死の直前というか、死の瞬間というか、エロティシズムがぐっと高まる瞬間がある
『色景』のこの写真も、花というより、むしろ時間、それも死に向かう「時」に興味があったのかな。だからテーブルの錆とか、干からびたヤモリンスキーが写ってる。この白いテーブルは、陽子が最初に買って持ってきたもの。死の直前というか、死の瞬間というか、エロティシズムがぐっと高まる瞬間があるような気がして、それを撮りたかったんだね、きっと。
色が欲しくなるというのは生に向かおうという気分なんだよ
ヤモリンスキーはね、(愛猫)チロが捕まえてきたヤモリ。「ヤモリンスキー」って名前つけて、いろんな写真に登場させたりしてるよ。チロちゃんが、オレが落ち込んでいるのを見抜いて、ヤモリを捕まえてきて、くれるんですよ。オレに元気を出せってね。この赤い花はシャクヤクだね。つぼみはギュッと堅くしまっていてちっちゃいくせに、花びらが開くと、ふわーっと大きくなって、不思議な花なんだよ。ヤモリンスキーはオレの分身だね。
モノクロームで撮ってて時がたつと、モノクロームだと寂しいからってカラーが始まるんだね。バックも無地ばっかりじゃなくて色をやってみようということになるわけ。やっぱり色が欲しくなってくるんだ。色が欲しくなるというのは、生に向かおうという気分なんだよ。
(構成=内田真由美)