天才アラーキー傘寿を語る
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<51>接写レンズで撮ったモノの「部分」にはエロスとタナトスをすごく感じる
この写真、おもしろいだろ。『エロトス』(1993年刊写真集)に入れた写真で、歯磨きしているセルフポートレートなんだよ(①)。リングストロボの形が予想以上にまんまるで、おまけに輪っかの中にもうひとつオ…
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<50>あらゆるイメージが女性器の暗喩…エロスとタナトスは相反するものじゃないんだ
これは、「エロトス」ね。エロス(性)とタナトス(死)。エロスの反対がタナトスで、タナトスの逆がエロスっていうんじゃない。エロティックなことには、死が混ざってないとだめなんだよ。相反するものじゃないん…
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<49>たけしさん「俺の一番いい顔は今だよ、過去じゃないんだ」って
たけしさんのポートレートを2回撮ってるんだよ。最初は、たけしさんが50歳のときだね。「男ノ顔」の第1回、一番最初にたけしさんを撮ったんだ(1997年にスタートした雑誌『ダ・ヴィンチ』の巻頭グラビア、…
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<48>パリの個展が大盛況 たけしさんは“俗”を持っているからいいんだよ
ロンドンの美術館で展覧会をやったときに(2005年バービカン・アート・ギャラリーで大回顧展を開催)、隣の映画館でオレの選んだ映画も上映したんだよ。小津(安二郎監督)の『東京物語』を上映した後の舞台挨…
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<47>たけしさんとオレ、似たところがあるんだよね…出会いは「オレたちひょうきん族」
たけしさんとオレ、似たところがあるんだよね。たけしさん、何度も番組に呼んでくれたり、撮らせてもらったりしてるんだよ。 最初に会ったのは、もう40年ぐらい前かなぁ。「オレたちひょうきん族」(フ…
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<46>陽子が一番気に入っていた赤いコートを着て“ツーショット撮影”
これは陽子の1周忌のときに撮った写真だね。この赤いコートは、彼女が好きだったコートなんだよ。一番気に入ってて、よく着てたコート。それを着て撮ってるんだよね、バルコニーで。遺影を持って、セルフタイマー…
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<45>陽子が最後に生けてった百合の花 枯れて腐ったテーブルにこびりついちゃってる
陽子と出会って、結婚したのが1971年7月7日。結婚記念日が7月7日でね、陽子とは、別れても、毎年この日には必ず会おうと約束したんだよ。 1990年の1月に陽子が逝ってしまって、それから、バ…
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<44>陽子が逝った後あまりにも寂しくて。写真に色を塗ったんだよ
陽子が逝った後はバルコニーで空ばっかり撮ってたね。空と、白いテーブルやワイングラス、病院から家に帰ってきたときに生けた花とか、彼女が残したものを撮ったりしてた。それが「空景/近景」なんだよ(1991…
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<43>いかりや長介さん、ドリフターズのみんなと撮った写真も懐かしい
これはザ・ドリフターズだね。雑誌の連載で、いかりや長介さんを撮影したときに、ドリフターズのメンバーやスタッフたちみんなと撮った写真なんだよ。加藤茶さん、志村けんさん、高木ブーさん、仲本工事さん、全員…
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<42>勃起せよ!チロは勇気づけるために飛び跳ねてくれた
この写真は、『センチメンタルな旅・冬の旅』のラストシーンだね(1991年刊行の写真集。1971年に自費出版した私家版『センチメンタルな旅』からの再録と、妻・陽子の死の前後の写真「冬の旅」による2部構…
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<41>この写真は死に向かっている妻に会いに行く階段なんだ
オレの花の始まりは、実家があった三ノ輪(台東区)の浄閑寺の墓場で撮った「彼岸花」なんだ。それとね、こぶしの花なんだよ。 陽子が入院していた病院から容態が急変したと電話があって、急いで駆けつけ…
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樹木希林さんの思い出<3>花の衣装でいこうと踊ってくれた
樹木希林さんは仕事の連絡とかも自分でやってたらしいね。マネージャーもいなくてさ、全部、自分でさ。雑誌の撮影のときもそうだったね(雑誌「FRaU」2016年6月号掲載)。 スタイリストやヘアメ…
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樹木希林さんの思い出<2>体調悪いのかなというのがチラリ
好きで撮りたいなと思っている人とは、たいがい良い出会いができるね。雑誌の撮影で樹木希林さんを撮ったんだよ(『FRaU』〔講談社〕2016年6月号に掲載)。久世(光彦)さんの葬儀の出棺のときに、手を合…
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樹木希林さんの思い出<1>顔より手のほうがいいわけじゃ…
大好きなんだよ、樹木希林さん。最初は手指だったんだ。希林さんの手指、きれいだったね。思わずシャッターを押してしまったんだよ。15年ぐらい前かな、演出家の久世(光彦)さんの葬儀のときだよ(2006年3…
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<37>この陽子が好き 幸せなときなのに孤独感が写っている
5月17日は陽子の誕生日。この写真好きだね。この陽子、好きなんだよね。今、陽子の写真を1点選ぶとしたら、これかもしれない。ソファーでオレがすぐ隣にいて、膝の上には(愛猫)チロちゃんもいる。幸せなとき…
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<36>撮るときに情が強いからプリントでは情をなくしたい
昔、森山大道さんと二人で、沖縄の国際通りを一緒に撮りながら歩いたことがあるんだよ。ワークショップ写真学校で沖縄に行ったときね。その頃の国際通りは車も通らなかった。一緒にお風呂入って、森山さんのヌード…
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<35>森山大道さんが撮ったヌードに「やられた」と嫉妬した
森山さんは、オレより二つ歳上なんだよ。(森山大道 写真家、1938年生まれ) 森山さんに、やられたなぁ、きたなぁ、と感じたのは、やっぱり『写真よさようなら』。オレ、その頃に電通をやめたんだよ…
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<34>オレは自分だけの安保をやると“写真行為”を始めたんだ
オレと森山大道さん(写真家)が一番最初に会ったのはいつかってよく聞かれるけど、森山さんとの最初の出会いというのは、オレの場合、写真家との出会いっていうのは、本人と会ったときではなくて、写真を見たとき…
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<33>鈴木いづみとはお互いの勘が通じ合ったっていう感じ
彼女、鈴木いづみはね、’70年代にすごい人気のあった作家なんだよ。オレがまだ電通に勤めていた頃、何かの小説雑誌のカラーグラビアに出てるのを見て、すごく気に入ったんだ。文章を書いていて、文学賞(「文学…
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<32>作家の小林信彦さんに随行…誰かと一緒に歩くのもいい
この写真は、作家の小林信彦さんに随行した『私説東京繁昌記』(1984年刊)だね。青山、赤坂、原宿、六本木、新宿、銀座、渋谷、池袋、浅草、人形町…、東京の町を小林さんと歩いたね。ひとりで歩くのもいいけ…