赤塚不二夫さん<1>赤塚不二夫さんは“アラーキー”の名付け親だと言っていたが…
赤塚不二夫さんが亡くなって、もう13年が経つんだねぇ(漫画家の赤塚不二夫は2008年に肺炎のため72歳で死去した)。赤塚さんは何度も撮ってるんだよ。この写真は、“赤塚さん”だからバックは赤だって、ダジャレて撮ったんだよ(笑)。雑誌で撮ることになって、赤バックを持っていってね。おっ、こっちはカッコつけてるじゃないか。自分で「色男だ、色男だ」って言ってたからね(笑)。(雑誌『太陽』の連載<実力者たち>で荒木が各界の著名人を撮影、1975年1月号に別カットの写真掲載)
赤トンボを書き加え…赤塚不二夫がいかに優しい人かがわかった
赤塚さんからもらったイラスト、うちに飾ってあるんだよ。B全でね、大きいんだよ。目の前でサササァーって、5分ぐらいで描いてくれたんだよね。ちゃんと天才バカボンのパパもニャロメも、なんとかっていうケムシも(ケムンパス)、描いてくれてね。
バババァーって描いて、天才バカボンのパパを描いて、これで終わりかなって思ったの。そしたら、空に赤い点をポンポンって打ちだしたから何だろうって思ったら、赤トンボだよ!赤塚不二夫がいかに優しい人かって、わかったね。優しいイイ人なんだなっていうのがね。画竜点睛って言うけど、このトンボがそれなんだよね。素晴らしいよ。描くのも早くてね、すごいよ。5分か10分くらいだったね。
一番最初に“アラーキー”って言ったのは俺だからな
赤塚さんは、“天才アラーキー”というのは俺がつけたんだって言うんだよ。一番最初に“アラーキー”って言ったのは俺だからなって、よく言っててね。違うんだよ。オレのはねぇ、“アナーキー”に掛けてるんだよね。電通の頃に、アナーキーになれって、自分にハッパかけて、アラーキーってね。赤塚さん、いつも言うからさ、酔っ払っててアラキが伸びただけじゃないのって、アハハハ。“天才バカボン”と同じにされちゃってんだよ(笑)。
(構成=内田真由美)