<41>この写真は死に向かっている妻に会いに行く階段なんだ
オレの花の始まりは、実家があった三ノ輪(台東区)の浄閑寺の墓場で撮った「彼岸花」なんだ。それとね、こぶしの花なんだよ。
陽子が入院していた病院から容態が急変したと電話があって、急いで駆けつけて行ったんだけど、いつも行く近道の階段の前の角に花屋があるの。いつも花を買ってた花屋なんだ。そこで、まだ蕾のこぶしの花を買って、その近道の階段を上がるときにオレの影を写したんだ。そんな冷静なわけじゃないんだけどね。だから、この写真は死に向かっている妻に会いに行く階段なんだ。まだ蕾のこぶしの花の影も写ってる。それから何時間か後に妻は死ぬんだけど、死んだときに、このこぶしの蕾がパッと咲いたんだよ。そのあたりから、オレの花を撮るということが本当に始まったんだ(陽子は1990年1月27日に子宮肉腫のため42歳で他界した)。
いつも花を持って行った
陽子は花が好きでね、いちばん好きな花はミモザ。「私、カフェでもやろうかしら」って言ったことがあるんだよ。カフェの名前は「ミモザ館にしようかしら」なんてさぁ。それくらい好きでね。入院している陽子のところに行くときには、いつも花を持って行ったんだよ。
「彼は私の右手をギュッと握りしめる」
(「夫はこんな私を慰める為に、いつも大ぶりなイキイキした花束を抱えてやってきた。一抱えもあるような背の高いヒマワリは見事だった。夫の去った後、鮮やかな黄色の炎のようなヒマワリを見ていると、確かにそこには夫の姿やぬくもりや匂いが感じられ、私はいつまでも見つめ続けていた。人の思いというのは存在する、本当に存在して、疲れた者の体と心をいやしてくれるんだ、と私はこの時いやというほど感じ入った。涙がポロポロ流れだしてなかなか止まらなかった。(略)1時ちょっと過ぎになると、それじゃソロソロ帰るかな、と彼は帰り支度を始める。また明日も来てあげるから、と言いながら彼は私の右手をギュッと握りしめる。それは握手というより、夫の生命力を伝えてもらっているような感じで、私はいつも胸がいっぱいになった。彼の手は大きくて暖かく、治療に疲れて無気力に傾きそうになる私の心を揺さぶってくれた。その時の私にとって、彼の手の温かさこそが生の拠りどころだったのではないか、と今しみじみ憶い出す」荒木陽子<ヒマワリのぬくもり>「東京日和」1993年刊より)
(構成=内田真由美)