<36>撮るときに情が強いからプリントでは情をなくしたい
昔、森山大道さんと二人で、沖縄の国際通りを一緒に撮りながら歩いたことがあるんだよ。ワークショップ写真学校で沖縄に行ったときね。その頃の国際通りは車も通らなかった。一緒にお風呂入って、森山さんのヌードを撮ったりしたことがあるんだ。(「ワークショップ写真学校」は、1974年に東松照明〔写真家〕の呼びかけに応じて、荒木経惟、森山大道、細江英公、深瀬昌久、横須賀功光ら第一線の写真家が設立に参加、講師となり、寺子屋形式で写真教室が開講され注目を集めた写真学校。76年に閉校。荒木はその後77年まで「荒木経惟私塾」を開設)
森山さんは、暗室でも撮ってる、1枚の写真で二度も三度も撮ってるって感じがするんだよね。ワークショップ写真学校のときに、森山さんと一緒に暗室に入ったことがあるんだけど、森山さんが1枚焼いてる間に、オレは10枚ぐらい焼いてさ。オレはプリントするときにはクールになるからね。撮るときに情が強いから、プリントでは情をなくしたいんだ。森山さんはね、撮るときに無情になるから、プリントのときに情が入って、ちょうどいいんだよね。
オレの写真はおしゃべりしすぎ
オレの写真は、おしゃべりしすぎだけど、森山さんは、しゃべりが少ないからね。で、相手を喜ばしてあげようとか、そういうのは思ってないからね。
森山さんは、わかってさ、ほっつき歩いてるんだよね。野良犬にならなくちゃダメだ、なるというね。人間から外れていっちゃうというか。あの人、恥ずかしがりやだからね。人間から外れていっちゃう、そうじゃなきゃダメだ、動物でなくちゃ、というようなのを持っているんだよ。本能的に。森山さんは、自虐的におんなじ表現方法だから、場所を変えればいいって、動いているって言ったりするじゃない、わざと。そうじゃなくて、どうしてもね、野良犬にならざるをえないんだよ、本能が。でも、そのことが、一行の素晴らしい言葉より、なにかを捉えてるっつうか、発言している。だから続くんだよね。ここんとこずーっと、見るほうが手を切らないじゃない、いつまでも。森山さんの写真、とくに海外ですごいだろ。外人のほうが言葉なしで通じるんだよ。ものすごい文字よりさ、通じるというのがなんかあるんだろうな。
(構成=内田真由美)