五木ひろしの光と影<9>平尾昌晃は三谷謙が一節歌ったのを聞いて「ぶっ飛んじゃった」
1970年11月のある日のことである。この日「全日本歌謡選手権」審査員の平尾昌晃はマネジャーの手違いで2時間も早く収録会場である藤井寺市民会館に到着した。当然、楽屋には誰もいない。今のようにスマートフォンがあるわけでもなければ、土地勘があるわけでもない。暇を持て余しただろうことは想像がつく。仕方なく誰もいない客席に座って、ステージの上で行われている出場者の音合わせを眺めていた。
出場者がバンマスにキー(音階)を伝えてAメロ(歌い出し)だけ歌う。二言三言、確認事項を伝えて「よろしくお願いします」と頭を下げて去っていく。それだけのことだが、みんな人生が懸かっているので思いのほか時間がかかる。その光景を眺めていたのだ。
「みんな、そこそこうまいなあ」と平尾は感心した。それはそうだろう。応募者とはいえ1次予選から勝ち抜いている強者ばかりである。番組人気と比例するように、応募者の数も増加の一途をたどり、番組開始1年後のこの時期は5000人を下らなかった。その合否は番組のディレクターと構成作家が手分けをして判断した。中にはプロ歌手になるより副賞の海外旅行を目当てに参加する素人も多かったし、奇抜な服装で踊ったり、大声をあげるだけの参加者も少なくなかった。であっても一人一人合否を付けるのである。苦行と言うほかない。