五木ひろしの光と影<19>1971年3月、野口プロ芸能部・第1号歌手「五木ひろし」が誕生した
株式会社野口プロモーションは、ボクシングジム(野口ボクシングクラブ)の経営と、興行の開催、外国人選手の招聘、ボクシング中継番組のプロモートを目的に、1959年に設立された。社長は弱冠25歳の野口修である。その7年後にキックボクシングを興すに至って、キックボクシングジム(目黒ジム)の経営と興行の開催、キックボクシング中継番組のプロモートも含むようになった。つまり、この時点で日本唯一の格闘技興行会社だった。そこに芸能部も加わるとなって、会社はコングロマリット化した。ボクシング、キックボクシング、芸能……こんな会社は後にも先にも野口プロだけだろう。
筆者は、そこに至るまでの複雑すぎる経緯を詳述した。一言で言うなら「戦前から続く右翼のシノギ」である。詳しく知りたい方は、ぜひとも拙著「沢村忠に真空を飛ばせた男」を通読されたい。