五木ひろしの光と影<17>他の審査員の目に留まっては横取りされてしまう
「全日本歌謡選手権」の審査員をしていた山口洋子が、番組の出場者で無名の下積み歌手、三谷謙を初めて見たのは1970年11月下旬と思われる。三谷謙の歌唱力に衝撃を受けた彼女の、以後の行動を要点ごとにまとめると次の通りとなる。
①平尾昌晃の自宅に電話をして「一緒に三谷謙の再デビュー曲を作ろう」と持ち掛ける
②8編の詞をしたため平尾昌晃に渡す
③平尾昌晃は「あの人は行ってしまった」という不思議な詞にポップス調の曲をつける
④三谷謙の所属するプロダクションを探す
三谷はこの時点で6週目まで勝ち抜いていたというから、おそらく④は年明け1971年初頭だろうと思われる。つまり①~③を慌ただしい師走にやり切っていることになる。この早急さは尋常ではない。
そうでなくても彼女の本職はクラブママである。それをたった1カ月とちょっとで、ここまでのことを推し進めた。そもそも、三谷謙は、まだ10週勝ち抜いてさえいないのである。