三船、裕次郎が巻き込まれた「黒部の太陽」収録事故
<1967年9月>
68年公開の黒四ダム建設を題材にした石原プロと三船プロ製作の大作映画「黒部の太陽」は当時、映画界にあった「五社協定」の壁に阻まれ、製作は難航を極めた。しかも撮影中にはセットが壊れて、主演の石原裕次郎が全身に大ケガを負うアクシデントが起きる。
67年9月30日、愛知の建設会社の工場には「黒部の太陽」のトンネル工事のシーン撮影のために幅7メートル、高さ5メートル、長さ240メートルにも及ぶ巨大なセットが組まれていた。この日はトンネルが破砕帯にぶつかり、岩石の間から大量の湧き水が噴出し、作業員を襲うシーンの撮影が行われようとしていた。
午後7時50分ごろ、熊井啓監督のスタートの合図がかかる。直径8メートル、高さ13メートルのタンクに用意された420トンの水がセットに流される。その直後に、ドンという轟音が響いた。大量の水の圧力でコンクリートのトンネルの壁が崩れてしまったのだ。水は一気に流れ、セット内に組まれていた60本の丸太も一緒に流れた。
演技を始めていた建設会社の技術者役の石原裕次郎と、電力会社現場責任者役の三船敏郎も流された。照明も消え、セット内は全くの闇。熊井監督も流され、「何人か死者が出たかもしれない」と思ったという。スター2人を捜す「裕ちゃん」「三船さん」という声も飛び交った。