三船、裕次郎が巻き込まれた「黒部の太陽」収録事故
しばらくして照明が復活する。三船が見つかって、無事。裕次郎も発見されたが、意識がない。裕次郎は流されるうちに撮影用のコードに絡まり、そのまま水と丸太に襲われたのだった。救急車で病院に運ばれたが、両足に打撲傷、左足には長さ20センチの裂傷を負って血が流れていた。右手の親指は骨折もしていた。また、倒れた姿勢で流される時、手で必死で踏ん張ったせいか両手の指が敷石にこすられて、指紋が全部なくなっていた。病床で裕次郎は「この映画はもうダメかな」と呟いたという。
カメラも流されて壊れた。だが、フィルムを取り出し、現像してみると、水が噴出し、裕次郎らが流されるところがリアルに撮れていた。むしろ迫力があるということで、映画に使われることになる。撮影も裕次郎の回復を待ち、20日以上遅れながら続行された。
この映画の製作は64年に三船、裕次郎の2人によって発表された。当時の映画界には大手5社により、監督・スターは各社専属とするという「五社協定」が続いていた。東宝出身の三船、日活出身の裕次郎という2大スターの取り合わせはこの五社協定の枠組みを危うくするということで、各社の協力を得られず、公開のメドが立たないままの製作開始だった。