故マンガ太郎さん 容体急変前の取材で語っていた最期の話
“漫画漫談”のマンガ太郎さん(本名・朝倉康夫)が8月5日、肝臓がんで亡くなった。72歳だった。2年前の10月に発症し、肝臓の半分を切除する手術を受け、一度は回復。今年6月下旬までは舞台に立っていた。実は本紙は7月半ばに容体が急変する直前、マンガさんに取材をしていた。今回、ご遺族の了承を得て、マンガ師匠の最期の話を掲載する――。
「ワタシね、今はウチの協会(東京演芸協会)の副会長をやってんですよ。去年、会長だった牧伸二師匠が亡くなり、副会長だった原一平さんも体調不良を理由に降りちゃった。で、ワタシに副会長が回ってきた。会長? 野菜ミュージシャンのはたのぼる師匠。自分では補佐役程度に考えてたんだけど、新会長が何事も“よきにはからえ”なもんだから、協会の案件処理に追われてます」
浅草は六区街にある喫茶店で会ったマンガ師匠、こういって苦笑いした。
それにしても、黒と白の縞模様のソフト帽に白縁メガネがえらく目立つ。
「これも演出のひとつでしてね。古希を迎え、少し若さをアピールしようってわけです。仕事的には去年の暮れ、森サカエさんのジャズコンサートに出させていただき、この前は横浜にぎわい座、さらに講談の神田すみれの高座にも出た。売れっ子だと思いません? ハハハ」