故マンガ太郎さん 容体急変前の取材で語っていた最期の話
海外での仕事は6年ほどやったとか。
「帰国してからもよく米軍キャンプを回りましたよ。米軍機送り迎え付きの仕事を受けたこともある。夜に立川基地を飛び立ち、てっきり九州に着いたんだと思ったら、なんと、グアムだった。米軍がバックにいたとはいえ、パスポートも持たずに密出入国したのはワタシくらいなもんでしょうな、ハハハ」
マンガ師匠はお笑いブームとはほとんど無関係な芸人でもあった。
「豪華客船によるクルーズが人気なのはご存じですか? その船のショータイムに出演する。そんな仕事が多く、ひと頃は頻繁に船に乗ってました。バブルがはじけて以来、機会は減りましたが、それでもポツポツ依頼はある。5年ほど前には新潟―韓国―香港、3年前はアカプルコ―サンフランシスコのクルーズに乗船しました。一度乗ると長い場合は2週間は船上の人になってしまい、どうしても国内の仕事はお留守になるんですね。そんなこんなでお笑いブームは蚊帳の外でした」
長女(43)と長男(40)は独立し、都内に元バレリーナの夫人と2人暮らしだった。