大内義昭さんが生前明かしていた「愛が生まれた日」誕生秘話
また、その藤谷については「藤谷さんはプッツン女優なんていわれてたせいか、何か面白いエピソードがあるんじゃないですかってよく聞かれるんです。ところが、これが全然ない。ごくフツーの、常識的な方でしたよ」─―。
90年代後半に郷里の北九州市から、市制35周年のイメージソングの制作を頼まれたのをきっかけに同地に活動拠点を移し、自ら音楽専門学校を開校。若手ミュージシャンの育成に力を注いできた大内さん。
盟友の藤谷は一部マスコミに「とても寂しい。私にとっても大切な思い出の歌です。心からご冥福をお祈りします」とコメントを発表。55歳はあまりに若すぎる死である。