旅館が営業停止に 船木誠勝が語る“新日対UWF”宴会の惨状
1980~90年代の新日本プロレスに始まり、パンクラスを旗揚げするなどプロレスラーとして活躍している船木誠勝さん(48)。現在は大阪でフィットネスのパーソナルトレーナーをしながら、フリーで年間40試合弱、リングに立っている。酒の思い出は豪快だ。
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中学を卒業してすぐに青森県弘前市から上京して、新日本プロレスに入団しました。酒は入門してすぐから飲まされていました。毎日じゃないですよ。宴会の時とか巡業の時とかです。先輩から「飲め!」と言われたら嫌とは言えません。「はい!」と言って目の前のコップの酒を一気する、それが酒だと思っていました。
青森では飲んだことがなかったので、飲み始めた頃はすぐに酔って訳がわからなくなっていましたね。それで二日酔いになって、翌日起き上がれなくて。飲ませた先輩も自分に飲ませたことがバレたらマズいから、「具合が悪いことにして寝とけ」と言って寝かせておいてくれました。
記憶に残るのは17歳の時に新日とUWFで一緒に飲んだ酒。当時、新日とUWFは抗争していて、試合で戦うだけではなく実際にも関係があまりにもギクシャクしていた。それで、それもよくない、もっとスポーツライクにやろう、そのために一度、一緒に飲もうということになった。