「日本の恥」と罵られ 内藤大助に火を付けた34秒KOの屈辱
帰国後は「日本の恥」と散々
帰国後は大変。なんせ1R34秒KO負けは世界フライ級タイトルマッチ史上最短記録です。「日本の恥」なーんて言われて散々です。メチャクチャ落ち込みました。それでも、ボクのことはいいんです。言い訳ができない完敗でしたから。ただ、わざわざ自費でタイまで来てくれたファンの方々には本当に申し訳なかった。リングに立ってたのはたった24秒ですから。引退の文字もまぶたの裏に浮かびました。でも、世界の壁は厚いけど、せめて日本のタイトルぐらいは取らなきゃやめられない……。
それともうひとつ。本来は日本タイトル、東洋タイトルとステップを踏むものですが、ポンサックレック戦の2戦前の日本タイトル戦がまったく納得できない判定引き分けで、ベルトを奪取できなかった。それも悔しくて現役続行を決めたんです。
そしてちょうど5カ月後の9月19日、復帰戦をタオチャイ・ソーソーゴージム(タイ)と行い、7RTKO勝利。それから一時マッチメークに恵まれない時期もあって、ようやく日本タイトル戦にこぎつけたのは04年6月6日。それを6R負傷判定ながら勝利を収めて日本チャンプに輝きました。この時29歳9カ月ちょい。30歳直前のオッさんになってました。
■三度目の正直でポンサックレックに勝利
しかも、日本チャンプになったものの、条件が悪くてファイトマネーなんて微々たるもの。4年前に結婚した嫁や両親に支えられながらのボクシング生活でした。念願の世界チャンプの座に就いたのは07年7月18日。最初の世界戦から5年3カ月、三度目の正直でポンサックレックに勝利。32歳でした。もちろん、チャンピオンベルトを巻けたのはうれしかった。夢じゃないかと、勝利者インタビューまで頬を何度もつねったぐらいです。
でも、長い長い回り道でしたが、世界チャンプになれたのは34秒最短KOというドン底を味わったから。あの屈辱がなかったらボクシング人生は別のものになっていたでしょうね。16年前の4月、タイで撮った写真は今も大事にしています。