「師匠と弟子」仁科克基が振り返る父・松方弘樹との日々
昨年亡くなるまですべてを拒絶していた
松方さん自身が激怒したこともあります。僕が中学1年の時です。釣り道具部屋には世界にひとつしかない道具とか魚を釣った時の思い出の道具とかあったのですが、不注意でボヤを出してしまったんです。帰ってきて真っ赤な顔で僕の部屋に入ってきて、怒るまいことか。オカンや妹は泣きながら「やめて」と必死で止めて僕も「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝って。でも、怒るのも仕方がないですよね。
松方さんを拒絶したのは理由があります。両親が離婚した理由をオカンからだけ聞いてずっと憎く思っていたんです。それで松方さんから連絡が来ることもなかった。松方さんは自分からアクションを起こすような人ではないので。
拒絶したのは僕のミスです。両親の間のことは僕にはわかりません。わからないまま、拒絶したまま死に目にも会えず葬式にも出られなくて。でも、もう会いたくても絶対に会えない。ちゃんと会っていろんな思いを伝えておくべきだったと後悔しています。
亡くなって初めて、拒絶していたこの20年近くの作品をTSUTAYAでビデオを借りたり、ネットとかで見られるものは全部見ました。そうしたら、やっぱりすごい役者なんやなと。僕も芝居をやっていて、今なら松方さんのすごさを感じることができます。いつかは松方さんみたいになりたいし、芝居についてもいろいろと教えてもらいたかった。
実は「松方さん」と呼ぶようになったのは亡くなってからです。それまでどう呼んでいたかというと、「おやっさん」です。松方弘樹をリスペクトする気持ちで「松方さん」、そう呼びたくなったんです。