大手プロを退社しパリで活動 日仏ハーフ女優・美波の挑戦
演じるのは、30歳目前にして生まれ育った町から出られずにいる女性の役。
「光代(役名)が感じたことのすべてを理解できるわけではないけれど、フランスで暮らすようになった私は、光代が感じた孤独を彼女と分かち合えたような気がした」
デビュー作は2000年、映画「バトル・ロワイアル」(深作欣二監督)だった。その後、資生堂のCMキャラクターに起用され、連ドラ出演や雑誌のモデルなど着実にキャリアを築いてきた。転機が訪れたのは、14年に文化庁の在外研修制度でパリへ留学したこと。18歳の時に初めて訪れ、「自分の鼓動と同じリズムを感じた」という地で心に決めたのは、「帰る場所を担保せず、片道切符でいいからフランスで生きたい」――。
1年間の留学を経て、事務所を退社。現在はフリーで活動し、仕事が入ると日本に戻る生活を送る。
「自分がいかに恵まれた環境にいたのかを痛感しました。仕事が来るのが当たり前だと思っていたところもありました。1年でも日本を離れたら忘れられるのは当たり前なのに、こうしてお仕事をいただけることが本当にありがたい。ただ、今の状況が私にとって心地いいものかといったらそうではない。中途半端な気もするし、迷いもある」
仏の映画界は閉ざされた世界。日本生まれの女優が入り込むことは決して容易ではないという。それでも、「とにかく芝居が好き。まだ諦めるには早い。日仏の両方で活動ができて、願わくば10年後に懸け橋を担う存在になっていたい」。
(小川泰加/日刊ゲンダイ)