嵐に燻り続けてきた“プロパーvs外様”メンバーの確執と暗闘
しかし、ジャニー氏には“松潤をセンターにして、もう一度やり直せないか……”という強い思いがあったらしく、1年後に「MAIN」のメンバーを中心に、「嵐」として華々しくハワイでデビューを果たす。“中心に”というのは、「MAIN」から生田が抜け、事務所に入ったばかりの櫻井翔(37)と、95年に「Junichi&JJr」というグループですでにCDデビューしていた大野が合流することとなったためだ。
■後々も尾を引く可能性が
ここまで読めば分かると思うが、嵐は松本・二宮・相葉のプロパー3人と、櫻井・大野という途中合流コンビに分けられる。「MAIN」から続くプロパーのメンバーたちはグループに対する愛着は強く、逆に言えば、リーダーにもかかわらず、大野が解散を言いだすことができたのは、それほどこだわりのない“外様”だったから……と言えなくもない。自由が欲しくてたまらない大野に、松潤らプロパー組は今後20年のグループの可能性に言及して説得したものの、最後まで外様との溝を埋められなかったという。
だったら、なぜ“外様”の大野がグループのリーダーとなったのか? という疑問が浮かぶが、これは「“まとめ役は彼が適任だ”とジャニー氏が現場に指示を出したから」(関係者)といわれている。このジャニー氏の読みは、ある意味で正解だったが、最終的にグループに破綻を来す遠因になったとも言えそうだ。