梶原しげるさんの酒人生 みのもんたと銀座とバブル忘年会
「梶原しげるの本気でDONDON」(文化放送)をはじめ、バラエティー「フードバトルクラブ」(TBS系)の実況やベストセラー「口のきき方」の執筆など幅広く活躍。文化放送の先輩・みのもんたとの縁が深く思い出は尽きない。今は大の“クラフトビール党”だ。
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みのさんにはよく銀座の店なんかに連れていってもらいました。店を回るペースが速くてね。席に着いて、飲んでしゃべってたと思ったらほんのちょっとで「じゃあ」と言って席を立ち、また次の店へ移動する。
そうやって、一晩で4、5軒回り、最後はお抱え運転手の待つセンチュリーの中でグテッと脱力しちゃう。店にお金を払いに回るようなもんです。店で業界の常連に会って話をしたりしてたから、営業にもなっていたんでしょう。まあ、一緒に裸になったこともありましたけど(笑い)。
みのさんのお酒は陽気。説教なんて一度もない。秋葉原駅前の物売りのマネとか、話芸を展開したり、お酒のうんちくを語ったり。人をもてなすのも大好きで、正月の逗子のご自宅(当時)での集まりは恒例でした。会社の役職者から業界人、近所の人まで十数人が集まっていました。みのさんは寿司を握って振る舞ったりもしてくれた。
家は最初は建て売りだったのに、行くたびに「隣の家を買っちゃって」と倍になり、また次の年も「隣を……」とみるみる広くなっていきました。「家がうるさいから、隣がみんないなくなっちゃったのかな」なんて冗談言ってましたけど、すごいですよね。
集まりには文化放送に入社して程ない頃からお邪魔しましたが、「ガールフレンドを連れてくるのが決まり」と言われ、初めて呼ばれた時、直前にたまたま出会ったOLを連れていきました。でも、彼女、酒に弱くて。勧め上手なみのさんに乗せられて飲むうちに気を失っちゃった。慌てて寝室に連れていって寝かせて休ませ、みのさんの奥さんがいろいろ介抱してくれました。そのOLが今の僕の奥さん(笑い)。
■バブル期の忘年会は豪華景品が当たり前だったが今は・・・
バブルの頃は出演番組の忘年会も派手でね。多い時は100人以上でディスコやカラオケ店を借り切っていました。たいてい抽選会があるのでその時々、入手困難なユニークな景品を出すために、毎年12月に入るとあれこれ手を尽くさなくちゃいけなくて大変。品薄の時のたまごっちやニンテンドーのゲーム機、ゴルフのパター……。宝くじ30万円分、銘柄牛1頭なんて豪華景品を提供する俳優もいました。それが今やスタジオで缶ビールに紙コップで「お疲れさまでした」。図書券を配るのがせいぜい。
でも、量を飲んだといえば、バブルの後の40代かな。仕事の付き合いもありましたし、個人的にも会社の同期とか一緒に働いていた仲間と楽しみました。焼酎がはやれば焼酎、日本酒がおいしいと言われれば日本酒。静岡の初亀という酒蔵で原酒をいただいた時はおいしかった!
酒に強いと勘違いして失敗もしました。ある時飲んでるうちにどんどん楽しくなっちゃって、タクシーで帰宅したのはよかったけど、自宅マンションのオートロックの番号を思い出せない。何度か試みたんですけどエラーばっかりで酔いもさめてきて。仕方なく、エントランスの脇に置いてあった応接セットのソファに横になったけど、冬だから寒くて寒くて。朝になって掃除の人に「もしもし」と起こされ、着替える間もなく、そのまま出勤。いやもう反省しました。
■マイブームはクラフトビール
50歳を過ぎてからはお酒を味わって飲むようになりました。今は夜、英語学習をするので、寝る前に1杯だけをゆっくりと。マイブームはクラフトビールです。味が柑橘系だったり、コーヒー系だったり、明らかに異なってておいしい。家に20本くらいストックし、「今日はオレンジ系にしよう」とか気分に合わせて味わって飲む。酔おうなんて気はないから、1本で十分なんですね。
クラフトビールは単価がちょっと高いから、飲み過ぎ防止にもなる(笑い)。長野の高原ビールや湘南ビール、八ケ岳ビールを通販で取り寄せたりするけど、送料も結構かかる。でも、高いおかげで自然とブレーキが利き、体重は5キロ、ウエストは14センチも落ちました。クラフトビールは今の私の唯一のぜいたくですけど、結果的に、体にもよかったですね!
(取材・文=中野裕子)
◇2018年11月、「大人の品格を身につける 語彙力練習帳」(宝島社)を出版。