忘れられたピアニストの悲劇の謎
「ボサノヴァ 撃たれたピアニスト」
忘れられ、埋もれていた芸術家に光を当てる。そのさまはどこか探偵の失踪人捜しに似ている。先週末封切りの「ボサノヴァ 撃たれたピアニスト」はそういう映画だ。
探索の相手はテノーリオ・ジュニオル。1960年代、ブラジル発のボサノヴァ音楽が世界的に注目を集めた時期に期待されたピアニストである。映画の冒頭ではコパカバーナのクラブに出演したエラ・フィッツジェラルドが、舞台がはねると裸足でうきうきとテノーリオの出演するクラブに向かう場面が出てくる。これがいい。たぶんフィクションの場面だが、60年代前半の大人の夜遊びがよみがえる。フィルムノワールにも似たその物語がアニメーションで描かれるのである。
いや、正しくは欧米で盛んなグラフィックノベルが動き出した感じというべきか。中学生のころ初めて聴いたボサノヴァが大人の世界への誘い水になったように、この映画版のグラフィックノベルは普通のドキュメンタリーとは違った手触りで、忘れられた天才ピアニストの悲劇の謎に観客を導いてくれる。
監督はスペインのフェルナンド・トルエバ。実写畑の人だが、デザイナーのハビエル・マリスカルに作画を委ねて得もいえず魅力的な作品を作り上げた。
テノーリオは76年にアルゼンチンの公演旅行の途上で消息を絶って忘れられたのだが、どうやら折からクーデターをもくろんだアルゼンチンの軍部か警察に誤認逮捕され、人知れず謀殺されたらしい。
70年代は南米でクーデターが続発した時代でもある。チリの作家ロベルト・ボラーニョは73年にアジェンデ民主政権を倒した軍事クーデターで投獄され、九死に一生を得た。短編集「通話」(白水社 2420円)には彼が経験した不条理の運不運が微妙に投影され、どこか一脈通じる読後感をもたらすのである。 〈生井英考〉