「夜明けのスキャット」は1社提供のラジオ番組のテーマ曲
デビュー曲「ヒッチハイク娘」が全然売れなくて、歌がダメなら女優になろう(!)と俳優座の養成所に行ったら、研究生は採用しない時期で、すっかり八方塞がりになっちゃったんです。毎日、挫折感でフラフラしていました。
中学から高校まで、ひばり児童合唱団のすぐそばにあった洗足学園の学生だったのですが、東京芸術大学の音楽科にいる姉のことは「越えられない」とずっと思っていたので、音楽科ではなく普通科に、芸能活動を認めてもらいながら通っていました。
私が授業の単位を落としそうになると「この時間だけは出ろ」って助けてくれた先生がいて、その先生が「ひとまず洗足の短大に行け」っておっしゃって。洗足学園の短大英米文学部に進学したんです。
一方で、昨日、お話ししたように、子供の時から合唱団にいて譜面が読めたので、中学の時からCMソングを歌っていました。最初はオーディション歌手といって、クライアントに提案するための曲を歌うだけ。「本番は弘田三枝子に歌ってもらいますから」なんて言われてカチンときたこともあったわ。それでも味の素の「ハイミー」とか明治チョコレートのCMとか300曲以上いろんなものをやりました。