「手紙」のヒットと“全員集合”がきっかけで夫婦生活に亀裂
いずみたく先生とのご縁で「夜明けのスキャット」がヒットして、私はチャンスを掴むことができました。でも、この時(昭和44=1969年)は女性の歌い手さんが大豊作の年だったんです。「フランシーヌの場合」を歌った新谷のり子さん、「真夜中のギター」の千賀かほるさん、「時には母のない子のように」のカルメン・マキさん、東芝には黛ジュンさん、奥村チヨさん、小川知子さんの3人がいました。それから渚ゆう子さんや欧陽菲菲さんも出てくるんです。あのころは本当にすごかったんだから! 私はこの競争に負けるわけにいかなかったわけ。
CMディレクターの大森昭男さんと結婚したのはそんな時なんです。とても繊細で、尊敬できる方でした。ただ、いずみ先生の「夜明けのスキャット」の曲がヒットしたこともあって、私にCMソングを歌わせなくなりました。先生は「オールスタッフ」という音楽出版とCM制作の会社を持っていましたから。「夜明けのスキャット」以降、私は大森さんにとってライバルの会社にいる人ということだったんでしょう。彼は本当は自分の手で私を世に出したかったのだと思います。