童謡アルバムを会場で手売り 年10ヶ所の出前コンサートも
NHKホールでの15周年の童謡コンサートの後、母が「あなたたちの童謡のアルバムを私のために作ってちょうだい」と言い出したのね。それをレコード会社に伝えたら、「教材なら……」と冷たくあしらわれちゃったんです。
時代はバブル絶頂期ですからね。童謡なんてだれも売れるとは思いません。でも、プロが歌うんだから、「レコード屋さんで売っていなくて教材だけなんて嫌よね」って、あの時は姉と2人で憤慨しました。そしてだれも見向きもしてくれない状況が2年続きました。
それで、母がレコード会社(東芝EMI)のトップに直談判しに行っちゃったんです。「私の棺にいれる1枚の童謡のアルバムを作りたいんです」と掛け合った。「お母さんにそう言われちゃったら」と向こうが折れ、やっと作ることになったんです。
「夜明けのスキャット」と同じディレクターの方にお願いしました。彼は「童謡・唱歌というのは日本人みんなが思いを寄せて聴いてきた歌だから、2人の個人的な思いを入れるのはやめましょう」という考えでした。つまり「ふるさと」はだれかの故郷ではなくて、みんなの「ふるさと」でなければならないと。だから、「由紀さん、ちょっと『由紀さおり風』が出てます」といわれたりしました。