母「絶対に合格できるようなレベルではありませんでした」
入学しても過酷な授業に耐えかね毎年同級生が退学していく厳しい世界を見てきたのだ。
■娘が6歳の時に夫が急死
とはいえ、娘を甘えさせて育てたのには、ある理由がある。
「マミが6歳、次の娘が3歳のとき、夫が盲腸の手術後に再生不良性貧血で急死してしまった。山一証券の証券マンで、35歳で支店長代理ぐらいの役職を任されていました。とてもしっかりした人で、日曜日も接待ゴルフがあって疲れているのに、私が子供たちをどこかへ連れて行ってと言うと、時間をつくってくれるようなお父さんでした。亡くなる前日、いよいよという時に『子供たちに会いたい』というので連れて行くと、『長生きしようね』という言葉が最後でした。身長が185センチもあって、マミはこの父に面影もよく似ています。片親だからといって惨めな思いをさせたくないという思いが強すぎたのか、必要以上に甘えさせてしまったのかもしれません」(芦屋さん)
その後は姉妹のような関係で、昔は少年隊のコンサートの最前列で一緒に黄色い声援を送っていたこともあったという。今でも親子仲はいいが、どちらかというとマミさんがしっかり者の長女、母の芦屋さんはおてんばな末娘といった印象だ。