香港市民よ「イージー・ライダー」が目指した“自由”を掴め
もう先週のことになるが、我らの愛すべきアメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー」の製作者でもあり、主人公の1人、キャプテン・アメリカ役を演じた、ピーター・フォンダが肺がんでこの世を去った。「君たちも映画を作ったらどうだ?」と青春の夢を与えてくれた人だ。ここで改めて感謝したい。
それは1970年の正月明けの公開で、17歳になったばかりの高校2年の我らは、大阪の梅田地下劇場で完全に打ちのめされ、ノックダウンだった。どんなに映画に感動しようと、上映後にしばらく座席から立てなかったのはこの「気ままなバイク乗り」が最初だ。翌日は当然、学校なんて行く気もしなかった。主人公たちが皆、殺されて終わるなんて、それまであり得なかった。あの衝撃は他にない。
メキシコから麻薬を密輸して大金を稼ぎ、アメリカの「自由」を探しに、ロスから南部のニューオーリンズの謝肉祭を目指して旅をする3人組。ロサンゼルスをLAと言うのも初めて知ったし、3人がたき火を囲んでマリフアナを吸い回し、「自由」について語り合う場面さえドキドキした。本物の大麻を吸って撮影したと聞いていたからだ。「フリーダム」という言葉が語られた。彼とデニス・ホッパー(既に故人)がチョッパーバイクの旅の道中で拾った若い弁護士も、マリフアナを吸いながら熱弁した。演じたのは名も知らない新人ジャック・ニコルソンだ。「アンタらのその長髪や格好が象徴する『自由』ってやつをこの国は一番恐れてるんだ」と。法の下の制約付き自由「リバティー」じゃなく、誰からも妨害されず個人の意思で行動するのが「フリーダム」。英語の授業より先に、我らは銀幕で教えられた。ステッペンウルフの楽曲「ワイルドでいこう!」や「ザ・プッシャー」「ザ・ウェイト」、ジミ・ヘンドリックスも心に突き刺さった。