衆愚政治のどん底で我々には大声で笑い合える日が来るのか
もう鳴りは収まったのか? あの吉本興業の内輪の騒ぎはほんとにくだらないな。上方(畿内)から、ロクなもの(昆布や醤油や食べ物)が江戸に下っていかないことから、それらを「くだらない」と呼んだそうだ。とにかく、芸人は芸見せてナンボやろ。演芸以前のくだらないものなんて届けてほしくもないな。ああー至芸が懐かしいよ。夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケット師匠、漫画トリオ、ついでに人生幸朗・生恵幸子のボヤキ漫才や横山やっさんたちの上方らしい、ホンモノの芸人の声を聞きながら、このクソ暑いの忘れて、ゆっくり昼寝したくなったよ。
それより、今、映画を画策している。今年の初めにも、年頭の抱負で書いたんだけど(いやー、抱負や夢なんて今までロクに実現したためしがないし、正月早々から、何をクダラナいことを考えてたんだろと、お盆頃になっていつも呆れるんだが……)、しかし、いよいよ、その企画をちゃんと進めようと思ってるとこなんだ。それは、冒険活劇「下駄の上の卵」という井上ひさしさんの原作だ。無論映像化権は頂いている。後はカメラで撮って、世界中に見せたいわけだ。舞台は日本、山形の田舎町と焼け跡の東京だ。時は1946年(つまり、敗戦の翌年昭和21年)の米軍政下で、皇居前のGHQ本部でマッカーサー元帥が「オレは天皇に挨拶されて、お助けした仲なんだぞ」なんて威張りながら、コーンパイプをふかせていた頃。といってもそんな光景どころか周りの風景のかけらも残っていないし、覚えている人も僅少の74年前の幻影だ。その幻影を撮りたいのだ。軍政下であろうと日本人はアメリカからの覚えたての民主主義という新しいルールに、いちいち頭をひねりながら、さあ、これからどんな社会を目指せばいいのかとその「理想」に向けて、大人も子供も手探りで今日一日を生きていく話なのだ。