追悼・酒井政利さん「アイドルの原型をつくったのは酒井氏だった」(チャッピー加藤)
酒井政利という人は、世の中に対する鋭い嗅覚を持ち、常識の斜め上を行く人だった。
1964年、日本コロムビア時代に手掛けた「愛と死をみつめて」(青山和子)は、当時のベストセラーを歌にしようとひらめき、原作の若い感性を生かそうと、無名の若手作詞家・作曲家・歌手を起用し大ヒット。大御所作家を起用するのが当たり前の時代に、酒井氏はそんな革新的なことをやっていたのだ。
聴き手と等身大
CBSソニーに移ってからは、南沙織をプロデュース。沖縄育ちで、洋楽を聴いて育った彼女に、洋楽に造詣の深い作曲家・筒美京平をマッチング。「17才」をはじめ、それまでの歌謡曲とは一線を画した新しいサウンドを作っていった。
さらにターゲットを中高生に絞り、詞の内容は世代的な共感を狙ったものにした。手の届かない「青春スター」とは違う、聴き手と等身大の存在=「アイドル」の第1号は南沙織。今のアイドルの原型は酒井氏がつくったと言っても過言ではない。
「ハイ、一発! 点棒、ちょうだい」
また、郷ひろみの一連のヒット曲を手掛けたのも、酒井氏の大きな功績だ。酒井氏はまず、曲のタイトルを自分で決める。デビュー曲「男の子 女の子」は中性的な魅力の郷にぴったりの秀逸なタイトルだ。「お嫁サンバ」は「さすがに歌えませんよ」と郷は渋ったが「後々まで歌える曲になるから」と説得。実際にそうなった。あの曲があって「ジャパ~ン」「アチチ」がある。
酒井氏ご本人とは、生前何度かお目にかかったことがあるが、素顔は気さくな方で、年下のディレクターと気軽に麻雀を打ったり、感性が若い方だった。
私も卓を囲ませてもらったことがあり、振り込んだ際「ハイ、一発! 点棒、ちょうだい」といたずらっぽくほほ笑む笑顔は今も忘れない。ご冥福を祈ります。
(文=チャッピー加藤/構成作家)