小室圭さんと眞子さまは“四面楚歌”打破し結婚を貫徹 それを祝福せず批判する世論の異常
戦前の皇室には、皇族とはこうあるべきというルールや規範のようなものはあったが、1945年にGHQによってすべてリセットされ、「象徴天皇」という言葉が残された。それを試行錯誤しながら「かたち」にしようとされたのが戦後の昭和天皇であり、平成の上皇と上皇后であった。それは、旧皇室像が壊れ、大衆化していく過程でもあった。
結婚も同じだ。以前にも書いたが、皇族の結婚相手が、戦前の華族か皇族から、戦後は旧藩主や新興財閥などの「平民」へ、さらに一般庶民へと広がっていく。眞子さまが小室さんを選んだのは当然の流れだろう。これが皇室の危機なら、皇太子妃に美智子さまを選んだように、特別チームをつくって結婚相手を探してくるしかない。今どきそんなことができるはずがないだろう。ところがメディアの中にある皇室に対するイメージは、伝統的で不変の皇室像と大衆的な皇室像が混在していて、今回は前者の視点から小室さんを否定する論調があふれ返り、ある種のアンチ小室像が出来上がってしまった。それに国民が同調したのは、息苦しい今の時代の格好のターゲットだったからだろう。「平民」から、ある意味「勝ち組の上流国民」になろうとしている小室さんをいじめて引きずり降ろしたいのである。