市川染五郎は美少年から青年俳優へ 「世襲批判」を跳ね返す御曹司の風格
今月の歌舞伎座は第一部の「車引」以外はすべて、大正・昭和に書かれた芝居となった。そういう志向の役者が主軸だからか。
第一部は岡鬼太郎作の舞踊劇「猪八戒」。1926年(大正15)に二代目猿之助によって初演されたもの(未見)。
第二部「信康」(田中喜三作)は、1974年初演で、96年に海老蔵(当時、新之助)が演じ、今回が3回目。市川染五郎が17歳での歌舞伎座初主演。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の源義高役で話題になったばかりのタイミングでの初主演だ。
染五郎は、いままでは子役とその延長の役だったが、今回は青年の役だ。颯爽とした若武者として登場し、花道を闊歩する時点で、劇場の空気を変えてしまう。妻と母の嫁姑の争いが大きな悲劇を生み、苦悩、烈しさの爆発と鎮静、達観、無念、父への焦燥など、あらゆる感情を見事に演じている。単なる美少年スターではなく、青年俳優としての可能性を示した。
染五郎は襲名のとき、『勧進帳』の弁慶をやりたいとインタビューで答えていたが、繊細なイメージなので、無理ではと思った。しかしこの『信康』を見て、十分に弁慶もやれると思った。「美しい荒事」の役者として、海老蔵を追える。
海老蔵も10代で『信康』を演じている。延期になっていた海老蔵の團十郎襲名も11月と決まった。このタイミングで染五郎が青年俳優として颯爽と登場したのは、天の意思か。
孫の初主演を支える白鸚
祖父・松本白鸚が家康で、孫の初主演を支える。さらに、鴈治郎、錦之助など主役クラスの役者が「若君」を支える役で好演。大先輩たちを前に、堂々と「若君」を演じてしまえるのは、御曹司ならでは。批判もある世襲だが、御曹司として育てられることにも意味がある。
第三部は有吉佐和子が杉村春子のために書いた「ふるあめりかに袖はぬらさじ」を玉三郎が主演と演出。
冒頭は、玉三郎演出特有の照明を抑えた暗い部屋から。そこへ光が差して明るくなるところが、演出として見事で、いわゆる「玉三郎の世界」へ導かれる。
玉三郎が乗りに乗っている感じ。玉三郎は1988年に初めて演じていたが、2007年12月に歌舞伎座で、すべての配役を歌舞伎役者で上演したことがある。今回は、歌舞伎役者は少なく、河合雪之丞や喜多村緑郎をはじめ新派の俳優が脇役で総出演している。それもあって、玉三郎が突出する。
幕末の横浜の遊郭が舞台で、自分の運命に絶望して自殺した花魁が、いつの間にか「攘夷の烈女」と讃えられていくあたりは、現在のフェイクニュースとよく似ている。ひとは騙されるのではなく、信じたいものを事実と思い込むのだ。
(作家・中川右介)