【追悼】青柳政司さん 90年代のプロレス史を飾ったヒール…叶わなかったリングへの夢
ヒールキャラでファンを沸かせていた
筆者は今年1月、豊田市内で青柳館長に取材。その時も「左目は網膜剥離でほぼ失明状態だけど、まだ右目があるよ。またプロレスのリングに上がるつもり」と意気軒高なところを見せていた。網膜剥離は長年の激戦のためだ。
「試合で頭部をガンガン蹴られてたから、その蓄積が原因だな。『レーザーで修復しようにも無理』って主治医にさじを投げられたんですよ」
驚いたのは、取材場所に乗ってきた軽トラの助手席だった。コンクリートブロックがデーンと置かれており、「赤信号で止まるたびに、コイツを手刀や正拳で殴っているんです。ノルマは1日2000回。俺、まだ現役だから」。
見れば、拳にも手のひらの小指付け根部分にもゴツゴツと殴りダコができている。
「トラックの運転手をしていた20代の頃、助手席に5キロのダンベルを置いて、やはり赤信号のたびに持ち上げて筋トレしてました。その名残ですね」
対向車線から見ると何やら不穏な動きに見えるらしく、「何十回もパトカーに止められてます」と大笑いした。
こんな館長だが、2015年5月、愛車のハーレーでツーリング中、対向車線からはみ出してきた乗用車に激突され、右足の膝下から甲にかけて粉砕骨折。同年10月、やむなく引退した。だがヒールキャラの人気は衰えず、17年10月29日、7度目の引退ツアー中の大仁田厚と対戦するためリングに復帰。昨年8月15日にも大阪で開催された「FMW-E大阪大会」の場外乱闘に加わり、ファンを沸かせていた。心からご冥福をお祈りいたします。
(取材・文=高鍬真之)