頼朝の背中の代役 小栗旬が大泉洋の歩き方を完コピできた深い理由
同番組では「団地の日陰のベランダの下で蟻地獄に蟻を落として楽しんでいるのが小栗旬の本来の本質」だと自己分析している。内気で人見知りだった彼は中学3年のときには、いじめられっ子だった。その反動からか、自分勝手に振る舞いながらも、その人間的な魅力にあらがえないような無頼の俳優に憧れた。
30歳頃までは、そうなれるように自分を演じ突っ走ったのだという。しかし、本来の自分は違う。彼と共演経験が多い國村隼は「場の空気がどうかなって常に神経を張っている。物凄く気遣いができる役者」(文芸春秋「週刊文春」22年6月16日号)と評す。
小栗は大河の撮影中、毎日マスクに共演陣へのメッセージや時事ネタなどを描いていた。それは現場の人たちと自然と話を弾ませるためだ。200人近くいるスタッフの顔と名前を全て覚えるという彼は「思いっきりみんなを愛していきたいなとは思っている。共演者、スタッフは家族みたいなものだから」(「プロフェッショナル」=前出)という。
積極的に話し合うのも「自分ひとりの発想なんてものはこれっぽっちしかないと私は思っているんですよ。みんなで手探りしながら探す作業が俺は好き」(同前)だからだ。番組恒例の「プロフェッショナルとは何?」と聞かれた際も「恩返し」と答えている。
小栗は常に周りを見て他者のことを考えている。「それがエンターテインメントじゃないですか。だって誰かが求めてるからやるんでしょ」(同前)と事もなげに言うのだ。