高橋幸宏さんは多彩で多才の人 音楽、映画、ファッションに通じた「人生の達人」の足跡
「YMОでは、音楽の方向性をめぐって、細野さんと教授(坂本龍一)が顔を合わせないほど険悪な時期もありましたが、そんなとき、2人の間を取り持ったのが幸宏さん。YMОが『散開(解散の意味)』まで5年持ったのは幸宏さんの人柄によるところが大きく、グループに最も貢献したと思います」と続けた。
■「いつもおしゃれで、生き方自体が格好良い」
晩年は軽井沢に移住し、フライフィッシングを楽しんだりしつつ、音楽活動を続けたそうだ。人脈が広く、いろんな才能と、さまざまなユニットを組み、幸宏さんの呼びかけで原田知世らが集まったバンド「pupa(ピューパ)」では、メンバーの衣装デザインまで手掛けた。
「日本の音楽の先端を走り、うんと前に進めたひとり。いつもおしゃれで、生き方自体が格好良く、だからこそ若い世代からもリスペクトされていました」(加藤氏)
脳腫瘍の摘出手術を受けた後も、前向きで、クリエーティブ。誤嚥性肺炎のため、70歳の若さでこのほど亡くなったが、人生の達人だったにちがいない。