宮沢りえ×貴乃花“スピード婚約&解消”から30年…破局の真相と2人の運命の歯車を振り返る
りえとたけしのこのCMが放送されていた92年10月、りえは、角界のプリンスと呼ばれていた当時20歳の貴花田と電撃婚約。スクープしたのは、久米宏(78)がキャスターを務めていたテレビ朝日系の「ニュースステーション」だった。翌日のスポーツ紙全紙が一面で「世紀のスピード婚約」と報じた。
■りえの引退問題は話し合われていなかった
「2人は90年元旦付のスポーツニッポンの対談で知り合ったんですが、そのときは交際には発展しなかった。交際が始まったのは、婚約発表の約2カ月前からでした。10月に入ってから、貴花田が電話で『結婚しよう』とプロポーズ、りえが『承知しました』と受け入れ、まさにスピード婚約でした」(スポーツ紙記者)
10月27日、記者会見を開いた貴花田は「2人で決めたことです」と話した。だが、2人はすでにスターになっていたため、すべてを独断で決められる立場にはなかった。しかも、2人の場合、あまりにも事が性急で、双方の準備不足は否めなった。
「当時藤島親方だった貴花田の父と母の藤田憲子(現・紀子)は、りえママと顔合わせを済ませていましたが、結婚後の2人の生活設計は何も話されていなかった。一番の問題は結婚後、りえが芸能界を引退するか否かの話し合いがもたれてなかったこと。貴花田の両親は、りえに芸能界を引退してもらいたかった。しかし、婚約発表の段階になっても、りえママの決心はついていなかったのです」(前出のスポーツ紙記者)